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農の現場で考える2023(その1)~いま農村で起きていること

 今年は公私に忙しく、書きたいことは山ほどあるのにやぎ農園ブログの更新が進みませんでしたが、終わりに近づいてきたこの2023年に経験したり見聞きして考えたことを連載で書きたいと思います。


 まずは、毎月お米と一緒にお届けしている『やぎ農園田んぼだより2023年1月号』から一部抜粋して掲載します。


田んぼを維持するのに必要な共同作業

 立春が近づいてきましたが、春になれば田んぼに水を張るための作業が始まるので、その前にやっておかなければならないことがいろいろあります。その一つが、排水路の清掃です。清掃といっても、ゴミ拾いではありません。

 田んぼは4カ月ほど水を張っておきますが、その間に大雨が降って水があふれ出たり、稲刈りが近づき

水を排水路に落としたりするたびに、水と一緒に土が流れ出ていきます。ザリガニやモグラに穴をあけられると、そこからも水が流れ出し、その勢いで土も削られて流れていきます。このようなことがどの田んぼでも起きているのですから、排水路は1年の間にたくさんの泥が堆積します。放っておくと、いつの間にかその堆積した泥が中州のようになって草が生えてしまい、こうなると大雨のときに水の流れを悪くしたり、ゴミがつっかえて排水路があふれてしまうことになります。ですから、定期的にそれを手作業ですくい出す必要があります。

 集落中に数キロメートルもの排水路があるので、このような泥上げ作業は集落の農家の共同作業で毎年場所を変えながら行っています。今日1月25日は、ちょうどその作業を行いました。幅と深さが1mほどの排水路におり、スコップで泥をさらっては田んぼの畔に挙げていく重労働です。若い人たちが集まって作業をする様子を思い浮かべるでしょうか。驚くかもしれませんが、一番の若手が40代半ばで1人、50代が2人、60代が4人、70代が6人、80代が2人です。長年百姓をやってきた先輩方は、80歳を過ぎても当たり前のようにこのような作業をこなしています。敬意を抱く一方、このままでは10年後に共同作業が成り立つのだろうかと心配しています。

 集落内の作業を自分たちで行い、維持していくということ自体は、自治を具体的に行っている「ムラ」のいいところだと思っています。でも、このような自治の精神と労力奉仕によって日本の水田農業や国土は守られてきた一方で、都市部には多額の税金が投じられ、建設業者などによってこのような作業は行われてきたはずです。つまり、税金の流れが農村へはあまり行かずに都市部に手厚く流れ、農産物の価値も据え置かれたために農村から若い人が流出し、郷土に残ってまじめに働いてきた人たちが「農村の高齢化」とひとごとのような言葉で表現されながら取り残されていることには、やがて高齢者の一人となる私は納得がいかないのです。

稲作経営所得がたったの1万円!

 農林水産省が昨年11月に公表した統計による全国の経営体(個人と法人)の平均値を見ると、稲作では、作付面積が平均で252.8aとわが家と同程度ですが、共済金と補助金を含めた農業粗収益と農業経営費との差額(農業所得)が、2020年に比べて94.4%減の1万円だったということがわかりました。つまり、わが家と同規模の稲作農家の1年分の手取りがたったの1万円だというのです。しっかりお米は収穫し、日本中にお米が不足することなく行き渡って、その恩恵をたくさんの人が享受しているというのに、農家にはおこづかいにもならないお金しか残らないということです。これで「農業を続けなさい、そのために経営努力をしなさい」などと誰が言えるでしょうか。欧州では農業所得のほとんど100%は政府の補助金だそうで、農家の役割について国民の合意があることがうかがえます。しかし、日本の政府は農家に冷ややかです。

 農業に携わる人が激減したこと、そもそも農業経営が成り立たない状態にまで農家が追い詰められている現状。農村崩壊が起きないことを願っています。年の初めにしては重たい話題になってしまいましたが、農村の現実を知っていただきたいと思いました。


 農水省が今年7月に発表した統計によると、全国の農業経営体は個人が88万8700、法人などの団体が4万700で、前年に比べて団体が1.5%増えたものの個人は5%(4万6400戸)も減りました。過去10年間では、なんと36.8%も経営体が減っている(3分の1以上も!)というのです。これを農村の自然現象のように語るのは、無責任だと思います。

 農業政策に詳しい田代洋一・横浜国立大名誉教授によると、農業統計から全農業経営体の平均時給を計算すると、たったの12円にしかならないそうです。これだけ企業による製品の値上げが続いている中で、農産物価格に資材や燃料の高騰分を転嫁できるかどうかなどと遠慮がちに議論されているほど農産物価格は無理やり低く抑えられてきました。本来の価値を下回っても、それが当たり前のように思われてきたのです。

 高齢者となった百姓の先輩方と同時代を生きてきた皆様が、「農業なんて大変なのにお金にならないつまらない仕事だ」といって百姓の肩身を狭くしたり、誇りを傷つけてこなかっただろうか、あるいは農産物は安いのが当たり前だと本来の価値を無視してこなかっただろうかと省みてほしいのです。


 それと同時に、国の政策がそのように仕向けてきたことも見逃すわけにはいきません。強い農家が、周囲のやめていく農家の代わりに規模を拡大し、そのように勢いのある農家に国が補助金を重点的に配ることによってますます格差が広がっていき、規模の小さな農家が見捨てられているのが現実です。農業の世界から人を減らすことを目標としているとさえ思える始末です。

 こんなに農地を強い農家に集めたとしても、農地に関わる人が減れば、地域の共同作業も成り立たなくなり、地域が崩壊しかねません。その先には、大企業が手ぐすねを引いて出番が来るのを待っているのではないかとさえ思うのです。なぜならば、インドが今年世界一の人口を抱える大国になるなど、世界の力関係は変わりつつあり、すでに世界で食糧争奪競争が始まっているという食糧事情を見越した動きを考えていると思うからです。(詳しくは省略しますが、これまで農業関係者の出資が過半の企業でなければ所有できなかった農地が、構造改革特区では一般企業による所有が解禁されるということまで制度が変わっています。もともと国家戦略特区として兵庫県養父市で試行された制度で、当時農水省が農地価格は99年分の賃借料に等しいから企業が必要とする理由がないと反対していました。それでも財界からの強い要望に押されるように変えられたのです。)


 全国各地で農地を預かる人が見つからなくなるという事態を迎える時は迫っています。

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