就農から25年目、さまざまな節目の年を出発点に

 2021年を迎えました。年々農作業も忙しくなり、なかなか更新できないものですが、農の現場での出来事や農家の視点から考えたことなどを、このブログに綴っていこうと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


就農から25年目

 さて、今年はいろいろな意味で節目の年となります。まず、私自身についてですが、新規就農してから25年目が始まります。当時私は31歳独身、ただ熱意と体力に満ち溢れているだけで、思うように成果が出せず、本当に頼りない新規就農者でした。それでもこの三芳村で暮らし続けてこられたのは、有機農業そのものの楽しさを感じたこと、私が頑固で辛抱強いという性格だということが幸いしたこともありますが、何といっても、素晴らしい先輩方に出会えたからです。有機農業の世界にはこんなにすごい人たちがいるのかという感動が、この地で暮らし続けようと強く思う原動力となりました。

 有機農業を通しての様々な人との出会いは楽しく、農業と食べものと健康、タネや農薬のことなど世の中で起きている様々な出来ごとを深く学び考える姿勢も少しずつ身に付けてきました。有機農業の世界で暮らす人たちは、よく「有機農業は生き方だ」と言いますが、私もそう思って過ごしてきました。50代の後半となり、ある程度ベテランと言われる年代に入ってきた今は、このような生き方を求めている人たちのお手伝いをより積極的に進めていく段階になったと思っています。

大震災と原発事故から10年

 また、今年は東日本大震災および福島第一原発事故から10年経つという節目でもあります。あの頃、節電が叫ばれ、自然エネルギーへの転換という希望を見せられ、人々の絆ということばが盛んに使われていました。日本の方向性は大きく変わるのかもしれない、そんなかすかな希望を抱いたものですが、その後の推移は見るも無残な民主主義の破壊、法治国家の崩壊、ニセ経済成長路線による貧富の格差の拡大、あるいは残留農薬やゲノム編集など危険な食べものの規制の緩和など、暮らしの安心感を次々と奪われてゆくような日々でした。

 しかし、昨年に端を発したコロナ禍によってニセ経済成長路線の化けの皮がはがれ、ますます日本は一部の人たちの利益のために動かされていることが鮮明になってきました。その一方で、そのようなあり方に疑問を感じたり,耐え切れずに動き出す人たちもどんどん増えてきていることを感じています。本来なら10年前が出発点だったはずの世直しを、今こそ暮らしの場から進めていくときだと強く思っています。


やぎ農園としての10年

 2011年3月11日に東日本大震災および福島第一原発事故が起きた時、ちょうどわが家にとっては大事な時でした。就農当時から14年間過ごしてきた三芳村生産グループ(1973年に発足した全国でも先駆けとなる有機農業者団体)から独立し、やぎ農園としての歩みを始めたのが、その年の3月1日だったのです。その矢先に起きたのが、原発事故による放射能漏れでした。その影響は遠くまで及び、千葉県も例外ではありませんでした。当初は、屋外作業に出ている私たちがいったいどれだけの放射能を浴びたのか、野菜の汚染はないのかなど不安だらけでしたが、南房総地域の汚染は少ないことが明らかになってホッとしたものです。 

 三芳村生産グループから独立した当初、どのようにして新たな販売先を確保していくのかということが課題で、これまで経験したことのない営業活動をする覚悟をしていました。しかし、結局その必要もないままにここまでやってくることができました。原発事故を受けての原発反対・放射能対策のデモや集会に参加したり、とあるきっかけで森のようちえんの体験活動の場としてわが家の田んぼを使っていただくことになったり、ドキュメンタリー映画『モンサントの不自然な食べもの』上映会を地元で開催したり、東京で定期開催されていたアースデイマーケットに出店したりと、農と食に関わるテーマの様々な活動が、結果的に新たな出会いと結びつき、わが家がお米や野菜を毎月お届けするという形で少しずつ暮らしの形が出来上がってきました。

 まだその当時は、ホームページさえ作っていなかったのですが、ご相談した方から素人でも自分でホームページをつくれる方法があるという情報を得ることができ、2017年の春に1か月余りかかってようやくやぎ農園ホームページをつくり、さらにfacebookページもつくることができました。これがまた新たな展開につながりました。それまでは、本当にわが家2人で地味に農作業をこなしているだけで、近所の方さえ農薬を使わない農家だということしか知られていませんでした。

 しかし、ホームページにわが家のこだわりやプロフィール、どのようなものを栽培し販売しているのかなどを詳しく掲載したために、近所や様々な活動で知り合った方々にわが家のことをより深く知っていただくことができ、そのことによって応援してくださる方が身近なところに増えてきたのです。また、これまで何も接点のなかった方からのお問い合わせも少しずつ増えて、最近では月1回自宅でそうざいやを開店していることもあり、欲しいものを求めてわが家を訪ねてくださる方々も多くなりました。10年前に放射能への不安から東日本の農産物が敬遠されるようになったにもかかわらず、わが家は少しずつつながりを広げることができ、今は次の段階へと進められる状況になりました。

有機の田畑で食べるために働く機会をつくる

 今考えていることは2つあります。一つは、より多くの人たちが無農薬の農作物を食べる機会を増やすための取り組みをすることです。「無農薬のお米や野菜が子どもたちのために良いのはわかるが、支払うお金のことを考えるとなかなか買えない」と思う方や、そもそもどのような食べものが健康に影響を及ぼすのかということに関心がない方も多いと思います。それは、食べものを得ることが「お金を払って買う」という行為を介しているからでもあると思います。

 そこで提案しようとしていることは、「わが家のが人手を必要としている農作業を田畑で一緒にしてください。アルバイト代は支払いません。その代わり、その田畑でとれた農作物を差し上げますので食べてください。」というものです。文字通りに「食べるために働く」ことを体験し、その結果として得られたものを食べる。そのときに感じる味は、きっとお金を出して買った食べものとは違ったものとなることでしょう。さらに、普段お店で買ってきたお米や野菜との味の違いを実感するかもしれません。こうして有機農業の田畑に足を踏み入れ、とれたものを味わう経験を通してその大切さを感じた方には、わが家のファンになっていただき、またわが家から育ってゆく新規就農者を支えていただきたいと思います。食べ物は「安全・安心」と頭で食べるものではありません。「おいしい」と舌で感じて食べるものです。頭ではなく、感覚で理解する人が増えれば、有機農業はさらに広がることでしょう。そのための機会をつくりたいと思います。


水田風景のつくり手を増やす

 もう一つは、機械や施設など大きな投資を必要とし、一部の人しか始められなくなってきた稲作に関わる人を増やしていくことです。就農を考えているという方から、先日こんなことを言われました。「お米というと、専門的な機械を持った人ができる、特別な分野だと思っていました」。確かに一般の農業では、稲作は最も収益性の低い農作物とされ、しかも最近はさらにコメの消費が減ってコメ余り状態となり、ますます作業の効率化と規模拡大を進めないと経営が難しいものとされていて、行政も新規就農希望者に稲作は勧めません。それでも、丁寧に栽培されたおいしいお米を欲しいという方は決して減ることはないでしょう。これから就農しようとする人には、販売のための栽培をするかどうかは別として、せめて自給用からでも稲作を始めてほしいと思います。そのためにできることは、わが家が続けてきたような小規模でも可能な方法を実践することだと思います。お米が生活に必要ないという方はあまりいないはずです。いろいろな形で稲作に関わる人が増えること、地域の田んぼを大事に耕し、畦草を刈り手入れをする人が増えることが、5年後10年後の南房総を考えた時にとても重要だと思っています。

 食料自給率との関係を考えると、自給的な農家も自給の一翼を担っていることはあまり顧みられていません。たくさん生産している農家こそが食料自給に貢献しているのだと誤解されている方も多いと思います。でも、自給的な農家の役割も実は大きいのです。例えば家族と親族合わせて3軒10人分お米を自給している農家が耕作をやめたとします。するとその10人分のお米は他の人が肩代わりしなければならなくなります。10軒がやめれば100人分、30軒がやめれば300人分を、誰かが肩代わりしなければなりません。しかもお米だけの問題ではないのです。田んぼを耕すということは、その畔草を年に何度も刈ったり、穴が開いたところを補修したりするなどの手入れもするということです。耕す人が減り、誰かがその肩代わりをしたとしても、そのような手入れを十分に肩代わりすることができません。このようなことが全国的に起こればどうなるでしょう。やがては肩代わりしきれずにお米の生産量が激減し、条件の悪い田んぼだけでなく耕作放棄が進み、荒廃した寂しい農村風景が各地に広がってゆくことになります。

 農村に育ち、水田の風景を当たり前に見て育ち暮らしてきた人たちは、「ここには産業がない」とよく言います。しかし、この水田の広がる風景こそが、この地域の暮らしの基盤であり心のよりどころであること、訪ねてくる人たちにとってもこのような農村風景が広がる環境こそが観光資源であることに、気づいていません。農村風景は、様々な農家の暮らしの営みがつくりだすものです。これからの南房総で、ともに農村風景をつくってゆく有機農業の仲間を増やすためのお手伝いを進めていきたいと思います。

「有機農業」の50年

 時代の波は、健康にそして心穏やかに生きるために何が必要なのかを問いかけています。10年前の東日本大震災の時に自分事として感じられなかった人の多くも、今回のコロナ禍に晒されて深く考えることとなったはずです。有機農業の先達の下で修業をして教わり、また全国の素晴らしい有機農家との交流の中で学びながら、こうして何とか自立できたわが家にできることは、有機農業が食卓を豊かにし、人のつながりを豊かにし、暮らしを楽しむことができ、世の中も様々な問題の解決法を考えるための手立てを与えてくれるものだということを多くの人に実感していただくことだと思っています。 

 私が就農と同時に会員として関わり続けてきた日本有機農業研究会の発足は1971年で、2021年は発足から50周年という節目となります。これは、今や当たり前に使われるようになった「有機農業」ということばの歴史とも重なります。たくさんの人たちが、生きる喜びも、未来への希望も失っている現在、まさに有機農業の力を多くの人が求める時代が始まったと感じています。

 人が食べものを口にしたときに「おいしい」と思うことはささやかな感動ですが、そのときには誰もが幸せを感じないことはないと思います。そう、おいしいと思える食べ物をつくりだす有機農業は、自らの暮らし豊かにするだけでなく、人に幸せをもたらす仕事でもあるのです。

生きながらえた35年

 私は20歳で迎えた1月、当時の成人の日の3日後の夕方、新聞配達中に車にはねられて重傷を負い40日間入院する事故に遭いました。警察の話では、20メートルも飛ばされたようで、落ちた位置がほんの数十センチずれていたら、歩道の縁石に激突して即死だっただろうと言われました。もしかしたら、高校時代に柔道部で毎日受け身の練習をしていたことが、そのような非常時に身体を守る動作につながったのかもしれませんが、とにかく私は顔面裂傷と前歯折損、右足下腿骨折という程度のけがで済み、その後自主的なリハビリもあって後遺症もなく過ごしてきました。その後55歳の今までの35年間は、いわば生かされたいのち、儲けたいのちだと思ってきました。

 人は誰でもいつ人生を終えるのかわかりません。私の場合は、生かされたのですから、少なくともそのことに感謝しながら、自分にできることをその時々にしっかりやろうと思いながら生きてきました。これから65歳までの10年間は、自分の体力も気力もまだしっかりしている大切な時期なので、年の初めに考えたこれらのことを、しっかり実現していきたいと思います。どうか皆様の見守り、ご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。 


*写真(左)は、三芳村生産グループの提携先である安全な食べ物をつくって食べる会発行の会報(1999年4月発行)です。写真(下)は、この会報に掲載された、就農した翌年に書いた私の文章です。当時の思いが綴られています。









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やぎ農園

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