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生きる意欲を失いかけた人たちに農の力を

 「8月の自殺者、1849人の衝撃。の巻」という刺激的なタイトルのコラムは、さる9月23日、憲法と社会問題を考えるウェブマガジン「マガジン9」に掲載された作家・雨宮処凛さんのものです。今年8月の自殺者が1800人を超え、しかも前年同月に比べて240人も増えたというのです。しかも40歳未満の世代が特に増えているそうです。最近の新聞報道では、自殺者の増加と「コロナうつ」が関連するという見方も書かれていますが、このことについて雨宮さんは、非正規労働者が前年同月比で131万人も減った、つまりおびただしい失業者が出てしまったことと大いに関係があるのではないかという見方を書いています。おそらくどちらも関係があるのだと思います。生きていくことが困難になったり、自らの存在意義を見失ったり、あるいはお金の問題で追い詰められたり・・・(ぜひ雨宮さんのコラムをお読みください。)

生きられるかどうかを決めるのは年収だけではない

 このコラムの中で、一つ気が付いたことがありました。「非正規の平均年収179万円」とあるのですが、実は農水省の統計を見ればわかるように、販売農家(経営面積が30a以上または農産物販売額が年間50万円以上)の平均農業所得(農産物の販売等により懐に入る金額)は平成30年度が174万円となっていて非正規労働者の平均年収よりも少ないのです。しかも一人当たりではなく、1戸あたりなのです。それでも農家は、家族の給与所得、わずかばかりの国民年金などと合わせて、また食べるものを田畑でつくるなどして暮らしています。今は農産物価格が賃金と比較して相対的にあまりにも安いので、平均年収で比べれば、非正規労働者よりも悪いのです。このことは、農業者人口の激減と高齢化をもたらす原因にもなっていると考えていますが、このことを指摘した記事やコラムなどを私は読んだことがありません。しかし高望みをしない限り生活に困ることはないということが大事だと思っています。

 雨宮さんのように都市部で生活困窮者の支援活動をする人たちが、その人たちの食を提供したり住居や職探し、生活保護申請などのお手伝いをしていることには敬意を抱きます。しかし残念なことに、年収があまり高くはない農家がどうにか暮らしているという地方の現状には視線が向かないようです。今必要なのは、食費を削って暮らしていたりネットカフェなどに寝泊まりしている。あるいはホームレスになってしまった生活困窮者がとりあえずの食や住居ととりあえずの職を見つけて都市で暮らし続けることを支援するだけでなく、地方で農業に携わる暮らし方もあることを知る機会も与えることではないのかと思うのです。そのような機会が与えられれば、中には自分を取り戻し生きる意欲が湧いてくる人も出て来るのではないかと私は思うのです。都市に住むということの中に生活に窮する環境、生きる希望を失うような環境があるのなら、都市に住み続けることだけが解決策ではないはずです。「年越し派遣村」が話題になった2008年から私はそう思ってきました。

新たな「農福連携」で生きる意欲を取り戻すきっかけに

 今、農水省も力を入れ始めた「農福連携」ということばがあります。農業と福祉がつながることで、農業の新たな役割を広げようという意味合いで、社会福祉法人が農業経営をしたり、農業法人が障がいを持つ人を雇用するなどの取り組みが行われています。しかし、農福連携でいう福祉の対象として考えられているのは主に障がい者や高齢者で、今のところ都市部での生活困窮者は対象だと考えられていません。先ほど書いたように、そのような生活困窮者の人たちに農業の現場で働く機会が与えられたならば、希望をもって生きられる人を増やすことにつながるかもしれないし、その人たちの中から就農することを選ぶ人も出てくるかもしれないと、私は思っています。

 毎日しっかり食べられるということはそれだけで幸せを感じられることですし、日々作物の成長を見守りながら世話をするという行為は生命への信頼を育むことができます。農の現場には人の心を開放し、生きる意欲を引き出す力があると強く感じています。雨宮さんのコラムを読むと、日本にはすでに包容力のあるセイフティーネットはなく、手を差し伸べてくれるほんのわずかな人たちとの縁がなければ絶望的だという恐怖感にとらわれている人たちが多いように思いました。そのような絶望感と恐怖感が自殺者急増の原因にもなっているのでしょう。

 しかし、様々なコミュニケーションと助け合い、協働で成り立っている農村の暮らしには、そのような絶望を振り払うことができる包容力もあると私は実感しています。都市部での厳しい労働環境や生活困窮者たちと向き合っている人たちの中に、農の力や農村の包容力についての理解や体験があるならば、違う形の支援もできるのではないかと思います。雨宮さんたちのように生きる意欲を失いかけている人たちに寄り添うことはもちろん必要でしょうけれど、農の現場にはただそこにいるだけで感じられるものがあるはずです。そのような新しい生活支援の形、農福連携の形を発想できコーディネートする方はどこかにいらっしゃらないものかと思います。

 いま、人が本来持っているはずの生きる意欲を引き出す農の力を必要としているのは、生活困窮者の人たちだけではないでしょう。毎日端末と向き合うばかりの仕事をしている人たちや「オンライン」での授業がほとんどになってきたという大学生たちなど、人と人との直接のコミュニケーションをとる機会を奪われているたくさんの人たち、そして自殺するほどの長時間労働を強いられている人たちにとっても必要とされているのではないでしょうか。人が人として生きてゆくために、今ほど農の力が必要とされる時代はなかったことでしょう。その傾向は、AIの時代になってゆくこれからますます大きくなるに違いないと思っています。

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