このほどやぎ農園では、ドキュメンタリー映画『種子(たね)―みんなのもの?それとも企業の所有物?』の上映会を開催しました。この映画は、2017年に制作されました。ラテンアメリカのエクアドル、ブラジル、コスタリカ、メキシコ、ホンジュラス、アルゼンチン、コロンビア、グアテマラの8つの国で種子が多国籍企業に独占されようとする状況と、それに対して伝統的な食文化の源である種子を守ろうと奮闘する農民の姿を描きます。日本でも、今年4月に「主要農作物種子法(種子法)」が廃止され、多国籍企業が米・大豆・麦の種子生産事業に進出してくる可能性が高まっています。この動きは、ラテンアメリカで起きているような世界の動きと無関係ではありません。それについて考える場として企画しました。本編の後解説編では、この日本語版DⅤDの監修をした印鑰(いんやく)智哉さんが、ラテンアメリカで起きていることと日本の種子法廃止との関係について解説をしました。今回は、この映画が伝えることについて、まとめてみました。
伝統的に受け継がれてきた種と暮らし
ラテンアメリカの人々の主食であるトウモロコシの起源は、1万1000年前に遡るそうです。テオシントと呼ばれる野生植物の栽培を続けながら長い年月をかけて改良してできたのです。テオシントはいまもトウモロコシを強くするのに役立つものとして大事にされています。トウモロコシやインゲンなどの種子は、女性たちが大事に保存し、それぞれの家庭で代々受け継がれてきました。品種も多種多様です。このような在来種の種子はクレオールと呼ばれ大切にされています。伝統的な暮らしと文化を大事にしている先住民族では、今も種をまく前に神に祈る儀式を行います。
ラテンアメリカの人々にとって、種子はただ作物を育てるための資材ではなく、いのちと暮らしをずっと守り続けてきた大切なものなのです。この映画の中で、遺伝子組み換えの種子を買うように強制しようとする法案に反対する農民たちのデモの場面が出てきますが、そこで叫ばれる言葉が印象的でした。「私たちはトウモロコシの子どもだ!遺伝子組み換えトウモロコシの子どもではない!!」というもので、いかにトウモロコシがラテンアメリカの人々にとって大事なのかがわかります。このようにラテンアメリカの人々に受け継がれ食文化を支えてきた種子も時代とともに、外圧にさらされます。
育成者権と生命特許
1961年、UPOV(ユポフ)条約(植物新品種保護国際同盟の略)が成立します。種苗育成者の権利を保護することが目的でした。当初は農家がタネを保存することは当然の権利として認められていましたが、1991年の条約改定(UPOV91年条約)により農家による自家採種はタネの育成者の承諾がなければ許されなくなりました。この条約の批准国は、国内法を整備することが義務付けられています(日本は、1998年に批准)。そして1980年、モンサント社が開発した遺伝子組み換え作物について、米国連邦最高裁判所は特許権を認めました。遺伝子組み換え技術ではなく、生命体そのものに対する特許ということで「生命特許」と呼ばれています。
このようにして、それまで種を採る権利は農民が当たり前に持っていたのに、開発した者の権利が強く主張されるようになり、いつの間にか巨大な多国籍企業が国の法律と国民の暮らしを左右することにまで事態は進んでいたのです。それが次々と現れたのが、ラテンアメリカ諸国でした。
ラテンアメリカを襲う「モンサント法案」
ラテンアメリカ諸国は、アメリカなどと結んだ自由貿易協定により、UPOV91年条約の批准とそれに対応する国内法の整備を迫られることになりました(TPP加盟国にも義務付けられている)。その際に提出された種子についての国内法案が、通称「モンサント法案」と呼ばれている。これは、市場向けに農業を行う場合には登録されたタネの購入が義務付けられ、伝統的な品種はその登録から外されるため、自分たちの種を使った農業ができなくなり、種子企業から毎回タネを買わなければならなくなるというものです。結局、モンサント社を利するということで「モンサント法案」と呼ばれるのです。
ラテンアメリカ各国での「モンサント法案」の状況は次の通りです。
メキシコ 2012年政府法案提出したが、廃案に
ホンジュラス 2012年成立
コロンビア 2013年施行
チリ 2014年廃案に
グアテマラ 2014年法案が成立したが、憲法裁判所が違憲判決をくだし、
議会が法案を撤回した。
コスタリカ 2012年モンサント社の遺伝子組み換えトウモロコシ栽培申請に対し、
GМO(遺伝子組み換え作物)フリーゾーン宣言で対抗。92%の自治体
で宣言された。2014年には、憲法裁判所が遺伝子組み換え作物の承認過
程が違憲であると判断した。
しかし、2015年にふたたびモンサント法案が承認待ちの状態に。
ベネズエラ 2014年モンサント法案を禁止する法案が成立
ブラジル 2003年の種子法改正により、種子の知的所有権を保護する法制度をつくっ
た。
ただしその際に、クレオーロ種子(伝統的な在来種)条項が設けられた。
これは、農民が生物多様性を守ってきたことの意義を認め、農民の種子が
種子法の適応を免除され農民による種子の保存、交換、売買をする権利を
認めるもの。
ここでいう種子法は、種子の育成者権を保護するのが目的で、日本で廃止され問題となっている種子法(主要農作物種子法)とは目的が違うことにご注意ください。日本の種子法は、米、麦、大豆という主な食料を安定して供給できるようにするためのもので、地方自治体がその責任を負うことが定められていました。
このように、地球の裏側では種子を多国籍企業が独占しようとする動きと、農民を中心にそれに対抗する動きとがせめぎ合っています。これは、日本で暮らす私たちにとっても、他人事と考えられないような状況をもたらしたのが、日本の種子法廃止という政府と国会の判断なのです。
日本の種子法制定の背景と役割
種子法(主要農作物種子法)は、米、大豆、麦を主要農作物として指定し、それらの優良な種子の生産および普及を促進することを目的に、第2次世界大戦での敗戦により受け入れたサンフランシスコ講和条約が発効した翌月1952年5月に制定されました。その当時、食料増産は大きな政治的課題でした。種子法が定めていた都道府県が担う役割は、①奨励品種の指定 ②奨励品種の原原種・原種の生産 ③種子生産圃場の指定 ④圃場と生産された種子の審査 ⑤種子生産者への助言・指導、でした。種子法は、国民の食生活の基本食料を常に安定して確保するための役割を果たしてきたのです。
種子法廃止の問題点
①廃止決定の根拠があいまい
2016年10月6日に提出された、政府が諮問機関として設けた規制改革推進会議農業ワーキンググループの提言書に「戦略物資である種子種苗については、国は、国家戦略・知財戦略として、民間活力を最大限に活用した開発。供給体制を構築する。そうした体制整備に資するため、民間の品種開発意欲を阻害している主要作物種子法は廃止する」と明記。衆参両院で5時間ずつという審議時間で、なんら議論もされないまま廃止を決定されました。種子法制定は、もともと基本食料の安定供給が目的でしたが、その意義について触れられることもなく廃止されてしまったのです。
②タネの安定供給が保障されなくなる恐れ
財源(地方交付税)の根拠となる法律がなくなるので、現在の体制を維持できるのかどうか疑問があります。
③地域の特性に合わせた品種の多様性が失われてしまう恐れ
利益追求が目的である民間企業に委ねると、これまで地方ごとにつくりだされてきた生産量の少ない種子などは切り捨てられ、利益の多い品種ばかりが生産されるようになり、300品種といわれる今の日本の多様なお米の品種の大部分が失われてしまう恐れがあります。
④種子の価格が高騰する恐れ
種子の供給を民間企業が行うことになると、価格が5~10倍になる恐れがあると指摘されています。これはすでに民間企業が開発して生産されている業務用米の種籾価格を見ても明らかで、民間企業が生産する方が安くなることはありません。種子の開発には多額の資金と長い時間が必要だからです。
⑤公共の財産である種子が、企業の占有物にされてしまう恐れ
種子法廃止と同時に成立した「農業競争力強化支援法」では国が講ずべき措置として
「第8条の4 種子その他の種苗について、民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産および供給を促進するとともに、独立行政法人の試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進すること」と定めています。
これにより、これまで蓄積してきた遺伝資源を利用して開発された種子に関する技術やその開発・採種に携わっていた技術者が民間種子企業に占有されてしまう可能性があります。また、民間企業がそのようにして得た知見を基に開発した種子に特許が掛けられた場合、特許料を払わなければその種子が使えなくなってしまうことも考えられます。
⑥食料主権(自分たちの食べものは自分たちで決める権利)を奪われる恐れや、遺伝子組み
換え作物の栽培が広がる可能性
種子法廃止の意味
それでは、なぜ多国籍企業が日本の種子事業に関心を寄せると考えられるのでしょうか。タネには2つの特徴があります。基礎的な農業資材であることと、遺伝資源であることです。食料を生産するのに欠かせないだけでなく、種によって生産される食料が決められてしまうわけです。ですから、「種を制する者は世界を制する」と考えられていて、多国籍企業は世界中で遺伝資源を探すとともに、タネの私財化を進めていて、思いのままに世界中で利益を追求できる体制づくりを進めているのが、ラテンアメリカの主食であるトウモロコシの種子に対して起きていることの原因なのです。そして種子法が廃止されたことによって主要な食料の種子が民間企業の手に委ねられようとしている日本も、このような多国籍企業の活動から逃れられなくなる恐れがあるのです。
種子法廃止の問題点を大きくまとめると、タネを公共の財産(誰のものでもない)から私有財産(誰かのもの)へと変えようとしていること、国民を飢えさせないという最低限の責任さえ国は放棄したということ、だと私は考えています。ラテンアメリカで起きていることを他人事とは考えず、国や多国籍企業の動向に注意を払ってゆくことが、今大切ではないでしょうか。
わたしたちにとってタネとは?
百姓の立場でこの映画を観た私が一番印象に残ったことは、実はこのような世界的な問題についてではありません。そもそも私たちにとってタネとは何なのか?ということです。ラテンアメリカの人たちの間では、種子は代々採りつづけられる中で少しずつ改良されながら食文化を支えてきました。しかし、日本の百姓である私は、米、麦、大豆、ゴマなどの作物のほか、いも類、レンコン、生姜、夏野菜の一部のタネなどを取り続けてはいるものの、種屋さんから購入している種も多いのが実情です。有機農家の中にはあらゆるものを自家採種している方もいますが、わが家はまだ十分にはできていません。それだけに、この映画『種子(たね)』は、食文化の源である種子を採り、それを播くという営みの意味をしっかり見直したいという気持ちを思い起こしてくれました。
*なお、ドキュメンタリー映画『種子(たね)―みんなのもの?それとも企業の所有物?』
のDVDは、製作したアジア太平洋資料センター(PARC)で購入することができます。
少人数の学習会にも最適です。