前回に引き続き、山下惣一さんの著書から引用しながら、農業の今、これからを考えたいと思います。「バブル崩壊」の後、すっかり時代が変わった1999年に書かれた『農の時代がやってきた』(家の光協会)から、私が傍線を引いた文章を拾います。
◇10年前の平成元(1989)年、埼玉県の自動車の販売会社の社長さんから論争を挑まれたことがある。ワープロで打った分厚い手紙が届き、書き出しは「日本の農民は乞食である」というきわめて格調高いものであった。
曰く「いずれ国際化が進むという認識のもとわが国の産業界は血のにじむような技術開発と合理化で世界に冠たる技術大国を築きあげ、未曽有の国難ともいうべき円高を乗り切った。しかるにその間この国の農民たちは何をしておったか?」
「毎年、田植えが終わると東京に集結し、鉢巻きをしめて″米価を上げろ!!″の大合唱。その姿はおよそ世の常識から逸脱したものにしか映らず、なぜだろう?と考えた末に辿りついた結論が乞食である」
「わが国では古来から人に物乞いする者のことを乞食と呼ぶ。したがってあなたも含めて日本の農民は一人残らず乞食である」云々。
二日間考えてオレは返事を出した。
「あなたが農民のことを乞食といわれるのなら、ま、そういうことにしましょう。はい。私どもは乞食でございます。」とオレは書いた。「そうすると、その乞食に車を売って生活しているあなたは何になりますか。乞食にくらいついているダニということになりませんか?よく考えてみて下さい。いや、失礼ながらあなたはあまり頭が良さそうではないから、よくよく考えてみて下さい。乞食はダニがなくとも生きていけますが、ダニは乞食がいなかったら生きていけないでしょう。ダニの分際で大きなことをほざくでない!」
手紙での論争は数回続いたが、こちらから打ち切りにさせてもらった。
◇この国はダニ国家であるということである。国家に寄生する大ダニ、中ダニ、小ダニが充満し、跋扈している。公共投資はダニの主食だが、そのツケは国民にまわされる。しかも、いまを生きている者だけ負担するのであればまだ罪は軽い。あろうことか、子や孫、これから生まれてくる子供たちにまで借金を背負わせてわが身の贅沢を維持しようとしているのだから、天道、人道から大きく逸脱している。このような連中から農業を批判され、まともに受け止めてきたことが口惜しい。たとえていえば、先祖伝来の家屋敷を抵当に入れ、それでも足りずに孫の名義で借金をして贅沢をしている奴から、「おい百姓、何やってんだ。もっとしっかりしろ!」と説教されているようなものだ。冗談じゃない。
この自動車会社の社長さんと同じように、農家も消費者、お客さんだということを忘れてバカにする人も、おそらくたくさんいたのでしょう。でも問題は、農家の働きとは関係のないところで物価と賃金は上昇し、相対的に米価は下がっていく時代だったことにあります。つまり、農家の手取りは実質的に下がっていたわけで、政府が米価を決めていた時代に、政府に勤労者との格差を是正するよう求めることは、自動車会社の社長さんが言うような物乞いではなく、当たり前の要求だったと思います。しかしこれも米価の影響を受ける農家がたくさんいた時代だったからできたこと。今では農家があまりにも減ってしまい、多くの農家がボランティアとして稲作に携わるかのような理不尽な現状に対し、霞が関に集結する力さえも失ってしまったことには、悲しみさえ感じます。
◇オレの農業簿記によれば、その年(昭和36年、1961年、筆者注)の農業粗収入はおよそ40万円、家族は8人。それで12万円の剰余金が出ている。今ではとても信じられない話だが、じっさいにそういう暮らしがあったのである。
そのころと今とを比較して、どちらが豊かかといえばもちろん現在である。これはもう比較にならない。当時、わが家にはマイカーはもちろん冷蔵庫もテレビもなく、カネを払って食べものを買う習慣もなかった。当時に比べるといまはさしずめ子供のころ夢見た王侯貴族の生活である。オレたちが生きたこの数十年間は日本の長い歴史の中で庶民が最も贅沢に暮らした時代だったのかもしれない。
では、あのころといまとどちらが幸せかといえば、これはもう絶対にあの頃の方が幸せであった。今は豊かで不幸な時代である。豊かさと幸せは同義語ではないという事実にすでに多くの人たちが気がついている。本来、幸せを伴わない豊かさはありえないはずだから、本当の意味では豊かとはいえないのだろうが、それを錯覚してオレたちは生きてきた。
◇つまりこれまオレたちが豊かさだと考えてきたことはフィクションだったのではないか。その典型があのバブルであった。何もしなくても、自らの労働や生産とは関係なく地価や株価は上がり、資産価値、含み益がふえ、それがさらに計算上の経済規模を拡大させていく。まさに虚構というべきで、とてものことに農業ではついていけない。それが崩壊した。フィクションは破綻し、暗転し逆の局面を迎えている。
◇すべてのものをカネに換算することのアホらしさにいま多くの人たちが気づいている。しかし、現実にはそのシステムにがっちり組み込まれて逃れることはできず、さらなるフィクションに打開策を求めている。短期的には浮沈や紆余曲折はあろうが、結局のところ待っているのは破局であろう。
一方、農業はまさにその対極に位置するリアリズム、現物経済の世界である。牛は一日にして10倍に肥大することもないかわりに半分に痩せることもない。かりに為替変動並みに相場が動いたとしてもキャベツはキャベツである。しかも、農業は土地から動くことはなく、人があるかぎり持続するという当たり前の事実にようやく多くの人たちが気がついてきたというのがオレの状況認識であり、書名を「農の時代がやってきた」として理由でもある。
二十一世紀が二十世紀の延長上には存続しないことは衆目の一致するところであろう。いつか、あるいは徐々に転換していかざるをえない。いま、その大きな転換の渦中にあるとオレは考える。おそらく新しい時代は人類の歴史とともに続き、これからも続くであろう農の永続性に学ぶしかないだろう。大地に足をつけて、つましく、ボチボチ行くべ!と言いたい。
いわゆる「バブル経済」の崩壊後に書かれた山下さんの言葉の数々には、浮かれた世の中に流されることなく田畑に汗を流して暮らし続けてきた山下さんの、鋭く確かな視線が感じられます。
フィクションといえば、農産物にも当てはまる場合があります。世界情勢の変化で最近問題となっている肥料価格の高騰は、日本で使われている化学肥料の多くが輸入原料から作られていることが影響したものです。つまり、それがなかったとしたら、米も野菜もこれほど潤沢に廃棄されるほどつくられてこなかったはずです。これは輸入飼料に大きく依存した畜産物、肉や乳製品にも言えるでしょう。大豆や小麦も輸入されたものが大半だったから豆腐や麺類などの加工品は安価に食べられたのです。この数十年間の豊かな食料は、海外に大きく依存したフィクションだったと言えるのではないでしょうか。
21世紀が飢餓の世紀になると予測されたのは30年も前のこと。日本の食料事情は、その当時よりもさらにフィクションの規模が大きくなり、日本人は、1年間のうち230日を海外からの食料輸入に頼る(食料自給率37%)までになりました。
日本の政治は、懲りずにフィクションを求める人たちが動かしています。国際経済における日本の地位がどんどん低下していることを実感せざるをえないいま、山下さんの言葉をかみしめたいものです。
次回もさらに、山下惣一さんの著書から言葉を拾います。
Comments