わが家は、春の農繁期を迎えました。すでに苗代では発芽した稲の苗が緑色に変わってきました。そして、苗を植える田んぼでは、水を貯めるための準備を進めています。田んぼは水を汲みさえすれば水を貯めることができるものだと思われている方も多いことでしょう。私自身も、稲作を始めるまではそう思っていました。しかし実際にはそうではなく、「くろぬり」という作業をして、はじめて水を貯められるようになるのです。「くろ」とは畦のことで、「くろぬり」とは、畦に泥を塗りつける作業のことです。
まずは、前の年に塗った「くろ」を切り取ります。そして水を汲み土を練り直してまた新たに塗り付けるのです。この時に、3本または4本の爪のついたマンノウで練った泥を寄せ、足で畦に押し付けるようにしてある程度整え、最後にクワでなでつけて平らな法面をつくっていきます。ちょうど左官屋さんがコテを使ってモルタルを塗るのと同じような作業です。「くろ」を塗るのは外周すべてではなく、排水路や下にある田んぼとの境の畔を塗ります。こうすることで、水が漏れにくくなるのです。「くろぬり」をするまでは、大雨が降ってもあっという間に水が抜けてしまうものですが、塗り終わると不思議なくらい簡単に水を貯められるようになります。この技が見いだされたのはいつの時代なのか知りませんが、それ以前は、いつも水がたまったり湧いてくる低湿地でしか稲は作れなかったのではないかと思います。「くろぬり」は、どんな高台でも水さえあれば田んぼにすることができるようになる、すごい技なのです。
20年ほど前までは、春のこの季節になると、マンノウとクワをもって「くろぬり」をする夫婦があちこちで一斉に仕事を始めました。まだ耕運機が活躍していました。やがてトラクターに取りつける「畦塗機」が登場しました。この機械は、畦を塗るというより、乾いた状態の時に畔を固める作業をします。それでもやはり皆かつてと同じように「くろぬり」と言います。畦塗械を使えば体力はいらないのですが、田んぼの状態や機械の使い方次第では水持ちの悪い田になってしまいます。手作業でやるのは重労働で時間もかかりますが、しっかり水を貯められるのは確かです。
今では手作業で「くろぬり」をする人はずいぶん少なくなりましたが、わが家ではすべての田んぼを手作業で「くろぬり」しています。その総距離数は840メートルほどにもなります。これまでは私が一人で塗っていましたが、今年は、妻が「くろぬり」を覚えたいというので、はじめてやり方を教えました。初めてにしては、まずまずの出来です。田んぼでお米を収穫するための作業は、このような「くろぬり」から始まるのです。わが家のある地区は比較的水の自由が利かないところなので、水持ちの良い田んぼにすることは、とても大事なことなのです。
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