先日、地元南房総市の広報誌『広報みなみぼうそう』6月号が配布されました。その最初の話題は「学校再編と児童・生徒数の現状」で、2026年度までの市内各地区ごとの小学校児童数と中学校生徒数、そして就学前の乳幼児数の一覧が掲載されていました。それを見てとても驚きました。地元の中学校生徒数は2026年度まで110人前後で推移するのですが、小学校児童数は現在の217人から2026年度には144人まで減り、その先にはもっと減る見通しだとわかったからです。これは、若い世代の流出がずっと続いてきた結果なのでしょう。地方から大都市圏へ。日本で高度成長期と言われる時期からずっと続いてきた、この人の流れとの関りを感じるのが唱歌「故郷」です。「故郷」は、日本人のこころの歌と言われます。私も以前は何とも思わずに歌っていました。しかし、ここ旧三芳村で就農したころから違和感を持つようになったのです。こんなことをいう人は少ないことでしょう。今回は、「故郷」に感じるようになった違和感について書こうと思います。
「故郷」と中央を向いた国づくり
都市部でしか暮らしたことのなかった私が、この地で就農し、生きる場を得られたのは、有機農業の先進地としてよく知られた三芳村で素晴らしい方たちと出会ったからでした。この村に生まれ育ち、学校を卒業した後ずっとここで百姓として生きてきた先輩方に囲まれて過ごしていくうちに、「故郷」に歌われるような光景は、生まれ育った土地で暮らし続けた人たちがいるからこそ守れてきたのだなあと思いました。お年寄りたちを見ると、子どものころからの呼び名「○○ちゃん」などと呼び合うのが当たり前の世界。子どものころから父の転勤に伴って、あるいは自分の進学や転職に伴って何度も引っ越しながら生きてきた私にはとても新鮮でした。そして「故郷」という歌は、ずっと故郷で暮らし続けてきた人の歌ではないと気づいたのです。あくまで故郷を離れて暮らす人の歌だなと。そして、日本人の心の歌と言われることに違和感を感じるようになり、この歌を素直に歌えなくなりました。
唱歌「故郷」は、生まれ故郷である長野県を離れて過ごしていた高野辰之が作詞しています。高野は「おぼろ月夜」「春の小川」「もみじ」など子どものころに慣れ親しんだ歌を数々作詞しています。「故郷」は3番の歌詞に「こころざしををはたして いつの日にか帰らん」とあるように、故郷ののどかな風景を歌った曲ではなく、故郷から離れて暮らす者の望郷の念を歌った曲です。「故郷に錦を飾る」ということばがありますが、日本では生まれ故郷を離れて都会に向かい、進学や就職ののち大成してから故郷に戻ってくることが、ずっと尊ばれてきました。また高度成長期以降は、地方から都会へ人がどんどん流れだしていき、お金をいかに多く稼げるかが重視されてきました。それに伴って農林水産業の現場から人がどんどん減ってゆき、またその流れを逆手にとって札束で顔をはたくかのように全国の過疎地に原子力発電所や核燃料再処理工場などが建設されてきました。そして地方の少子高齢化がどんどん進み、「限界集落」ということばが使われるようになったのは、日本がこれまで一貫して中央ばかりを向いた国づくりをしてきたからだと思うのです。故郷は遠く離れて思うものとされてきた日本の価値観が、今こそ見直されるべきだと思います。
やはり定住人口こそ大切
最近は「関係人口」ということばが重要視されるようになってきました。そこに住む「定住人口」でもなく、観光などで訪れる「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のことを指します。わが家は、お米や野菜などを都市部に住む方々へ1年を通してお届けしていて、それらのご家庭の日々の食卓とつながっていることがわが家の安定した暮らしの土台となっています。また、「はざ掛け米トラスト」のような取り組みも、都市部にお住まいの方との一時的ではないつながりをつくることを考えて始めました。このようにわが家もは「関係人口」に支えられています。また、強い関心をもってその地域に関わろうとする人が多くなることによって、その地域の良さや特色を再発見することもあります。だから「関係人口」は、地方で暮らす者をしっかり支えるという役割を果たすと思います。
しかし、「関係人口」が増え、その土地への関心が高まり、交流が生まれ、お年寄りなどその地にずっと暮らす人たちが元気になるとしても、その地に暮らす人が増えなければ、最初に触れたような地域の子どもの減少に歯止めがかからないでしょう。ここ南房総で暮らす、あるいはここを生活拠点にする人が増えなければ、少子化だけではなく様々な生活にかかわる問題を解決してゆくことは困難です。地域の学校を維持していけるのか?地域の病院は維持してゆけるのか?公共交通機関が十分でないのに、高齢になって免許証を返上したらどうやって買い物や病院に行ったらいいのか?このような課題の数々は、「関係人口」だけでは解決できないでしょう。ここを生活の場にしている人、休日ではなく平日にこの地にいる人が増え、自分自身に関わる生活上の課題だと感じなければ、政治や仕組みを変えてゆく力にはならないと思うのです。
30歳まで過ごしてきた都会の暮らしは、周囲の人たちへの信頼ではなく警戒、プライバシーという垣根が基本にあると感じます。一方、地方の暮らしは周囲の人への信頼が当たり前にあります。そこが大きな違いだと感じています。特に農村部では様々な作業や行事などを通して地域住民の関りが深く、お互いにいろいろな役割を交代で務めます。だから豊かな環境と相まって心穏やかに暮らすことが出るのです。春からのコロナウィルスによる生活の大きな変化で、いろいろなことに気づき、暮らし方を変えようとする人も増えてくることでしょう。また、働き方の変化もあり、会社から離れていてもできる仕事も増えてきそうです。こんな状況だからこそ、南房総で生まれ育った人たちにはここで暮らし続けてほしいと思うし、南房総へ移り住む人も増えてほしいと願っています。
夫婦2人とも他所で生まれ育ちながらご縁あってこの南房総が故郷となったわが家は、新規就農希望者を支援するだけでなく、地元で生まれ育った子どもたちが、大人になってもここで生きたいと思うような地域になるように、有機農業の世界でできることをしていきたいと考えています。故郷を離れて思うのではなく、故郷の未来を想いながらそこで暮らし続けていける世の中にしたいものです。
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