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ある有機農家の意外な転身


先日、意外な話を聞きました。長野県で新規就農し約20年有機農業を続けていた人が、慣行農業のレタス農家に転身したというのです。私が三芳村で就農した年の夏ごろだったと思います。当時埼玉県小川町の有機農家で研修中だった彼が三芳村を訪ねてきて、一晩話をした覚えがあります。その後付き合いがあったわけではありませんが、就農してから順調に過ごしているという様子は伝わっていました。それがなぜレタス農家になろうとしたのか、私にはわかりません。

  実は、私は30年前に高原野菜の産地として名高い長野県川上村のレタス農家でひと夏を過ごしました。朝5時に起床し、朝食を済ませてから畑に向かうと、すでにおじいさんと旦那さんが2人で切ったレタスが畝の上に逆さに並べてありました。それをサイズごとにダンボール箱に詰めていき、トラックへ積み込みます。10時に休憩した後、収穫作業は延々と続きます。毎日500箱を農協の集荷場へ運び込むのが午後2時少し前。それから畑の作業小屋で弁当を食べ、昼寝をしてからまずは翌日の出荷用の段ボール箱の組み立てをします。そのあとは畑の草取りや次のレタスの植え付けなどをして終わるのが通常は午後7時。日によっては、収穫した水菜を束ねて漬物屋さんに持って行き、終わるのが午後9時というときもありました。アルバイトは常時5、6人いましたが、入れ替わりが激しく、ひと夏を最後まで過ごしたのは、2人しかいませんでした。何しろ自衛隊にいたことがあるという人が、3日でやめてしまったくらいに厳しい毎日でした。農業は楽しいとはとても思えなかったのです。

  また、こんな話も聞きました。「隣村にヒョウが降れば、値が上がるから儲かる」。

市場価格に左右される世界にいれば当たり前のこととしてそのような感覚になるのでしょうけれど、人が困っても自分が得をすればいいというのはおかしいのではないかと、当時22歳の私は思いました。

  多品目少量生産の有機農業で暮らしている今の私は、同じ作業を来る日も来る日も繰り返すということはありません。また、市場での取引をしていないため市場価格を気にすることもありませんので、どこかで自然災害があったというニュースを聞けば他人事だとは思えないという、同じ百姓としての感覚で考えられます。改めて、自分はお金を稼ぐための農業には向いていないのだなあと思います。逆にお金を稼ぐことを目的とするならば大規模な単作農家はいいのかもしれませんが(川上村は後継者の定着率が高いようです)、農作業の面白さだけでなく、いろいろな楽しみや喜びを感じられる有機農業をやめることは私には考えられません。レタス農家に転身したという彼の研修先が、いま有機農業の第一人者ともいうべき方だっただけに残念な出来事でした。   (八木直樹)


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