(*今回は、お米と一緒にお届けしている『やぎ農園 田んぼだより』2022年9月号に加筆修正して掲載します。)
皆さんは、地方に出かけた時に、一面に広がる田んぼや集落の風景を見て、きれいだと感じることはないでしょうか。その時に、きっと気がつかれないだろうと思うのは、きれいだと感じられる風景を支えているのが、そこに暮らす人たちの草刈りだということです。
年2回行われる住民総出の草刈り清掃作業
わが家のある南房総市では、毎年5月と9月に一斉草刈りを行っています。集落の住民が全戸参加して道路の路肩や排水路の法面に生えた背丈を超えるほどの草を草刈り機で刈る作業です。
それとは別に、それぞれの家では、自宅の敷地だけでなく、面する道路の路肩の草刈りを年に何度も個々に行うのも当たり前のことで、集落の祭りの前や、彼岸花などが咲きだす前の季節などに町内会(当地では一つの集落全体を「区」と呼んでいて、それが、町でいう町内会に相当します)や農家の組織でも草刈りをします。
さらに農家の場合には、道路周辺だけではなく、耕作している田畑の畔や隣接する県道、市道、農道の路肩も、年に5~6回は草刈りをします。このような住民の日常の作業によって、農村の風景は維持されているのです。都会だと、払っている税金を使って誰かがやってくれるものだというのが当たり前でしょうが、農村ではこのような草刈りや排水路の泥上げなどは住民のしごとです。私がここに暮らすようになってから、農村にこそ本当の「自治」があると感じたことの一つは、このような日常の草刈りや共同作業でした。
耕作すること=畦の草刈りもやること
このような草刈りは、農村の暮らしに根付いたもので、自分たちの暮らしの環境を整えるとともに、作物の育ちに影響しないようにしたり、あるいはずっと昔でしたら飼っている牛のエサを得るためでもありました。もしも田んぼの畔草を刈らずに秋を迎えたとしたらどんなことが起きると思いますか?畦一面に背丈を超えるセイタカアワダチソウやススキが生い茂り、それらが実った稲を取り囲むような状態になってしまいます。そのような田んぼがいたるところに目につくとしたら、農村を訪ねた時に美しいと感じるでしょうか。しかし農村でも農業に携わる人が少なくなったため、「誰がこれだけの草を刈るのか」ということが現実の問題となってきました。
農家でない人たちが、専門家も含めて、農業のことを語るときに田んぼや畑の中の耕しているところのことしか見ないことがあまりにも多いのですが、農地を預かり耕作するということは、畦の草刈り作業を行う義務も負うということなのです。耕作面積ということばは、畦の管理も含めた面積のことであり、作物を植える耕地だけを言うのではありません。大規模農家や農業法人が注目されがちですが、預かる農地が増えれば増えるほど、畦の草刈り作業も増えます。それも年に何回も行う必要があり、何回行ったとしても、作物の価格に反映されることはありません。だから、大規模農家が規模を拡大していくにつれて、草刈りの行き届かない畦や草刈りの代わりに除草剤を散布して省力化するということが増えているのが現状です。夏に青々とした水田を除草剤で赤茶色に草が枯れた畦が囲む様子は殺伐とした感じがして、わが家のような有機農家から見ると異次元の世界を見ている感覚になります。
草刈りは国土と環境をまもる作業
こんな世界が広がらないようにするには、農家として耕す人の数が増えていくことが大事ですが、それと同時に、農産物を得るための農地、美しいと感じる農村の風景はこのような草刈りによって維持されていることが国民の共通認識となり、公共の空間を守るしごと、あるいは農業生産に必要不可欠なしごととして評価され、国の予算をしっかり配分することも必要だと思っています。都市部では道路や公園、河川敷などの草刈りを造園業者などが行ったら自治体から業者にお金が支払われるように、農村の住民が当たり前のこととして(草刈機や燃料を自己負担して)草刈りを何度も行っていることも同じように評価されるべきだと思うのです。ホットと一息つける空間である農村を維持することや、食べものを得るための農地を維持することは、都市で暮らす人たちにとっても大切なことで、農村で暮らす人たちだけの問題ではないのですから。それにもかかわらず現在の政策では、労力をかけても農家の所得には反映されず、草刈りに要する労力と時間は農家の経営努力で削減すべきコストだとされているのです。
このように、農産物価格の低迷 ⇒就農者が減少 ⇒農家が高齢化 ⇒農地や周辺の耕作や維持管理が困難 というこれまでの流れの結果として農家にしわ寄せが来ていて、草刈りができなくなったり、その結果除草剤の散布が増えて環境が悪化しているという農村の現実を知っていただきたいと思います。これは「農業」という業界の話ではなく、地方では国土を守ることが困難になってきているということなのです。
食料自給や国土の保全をおろそかにしておきながら、防衛費を増額しようとする今政府の姿勢は本末転倒だと思います。国民が生きるための食べ物が不足し、国土が崩壊し始めたら、どんなミサイルや戦闘機を保有していても、守るべき「国」そのものがなくなってしまうのですから。
*写真は、除草剤が散布された田んぼの様子です。6月下旬のことで、本来ならば畦草も青々としているのですが、草が黄ばんでいます。この後次第に草は枯れてきて赤茶色になっていきます。
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