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農の現場で考える2023(その2)~農産物の価値を見直す

更新日:7 日前

 農家の高齢化、人手不足にともなって一部では大規模機械化が進められています。政府も補助金を出して後押ししていますが、それでも農水省の統計によると日本の農家と農業法人を合わせた農業経営体総数の95.6%は家族経営の農家(2022年時点)だということです。大規模化する農家や法人を優遇する国の政策は、農村から小規模農家を減らす政策であると言ってもいいと思いますが、それでも実際には、小規模農家がなくては日本の農業も農村も維持できないのです。今回はお米の価値の移り変わりから、自然現象であるかのように語られる農村の高齢化がなぜ起きてきたのかということを考えてみたいと思います。


農村の高齢化は原因ではなくて結果

 一般に流されている情報だけを頼りにしている方は、「高齢化が進んで人手不足なのだから、大規模化は当然の道筋だ」とか、「輸入農産物が増えていくのだから、コストダウンをして国際競争力を高めなければいけない」と思っているかもしれません。でも実際は、賃金の上昇と比較して農産物価格が相対的に安くなってしまったから若い人の農業離れが進んで高齢化したのであり、高齢化は原因ではなく結果です。輸入農産物が増えてきたのも自然の成り行きでもなんでもなく、他産業にとっての利益を優先して農業を犠牲にしようとする政策の結果です。これからどうしたらいいかを考えるためには、まず今の農産物の価格(=お金で表した価値)が妥当なのかどうかを、しっかり見つめる必要があると思います。

農産物の価値はどのように変わってきたか

 私たちは農産物を食べて成長し、いのちをつないでいるのですから、それにふさわしい価値があるはずです。ところが、今の日本ではそれが不当に低くされています。

 私が三芳村で研修を受けていたころ、師匠たちから聞かされた話の中で印象に残っているのは、「昔はみかん一箱15キロを売れば、手伝いを5人も頼むことができた」、「昭和36(1961)年ごろ、農業高校を出て農協に入ると初任給が7000円だった。そのころ米は1俵が生産者価格で4000円した」、「昔は大工の1日の手間賃が米1升だった。ところが今は、大工が1日働けば1俵のコメを背負って帰れる」といった話です。このように農産物の価値が高い時代のことを聞いて驚いたものです。それでは一体お米の価値はどのように変わってきたのだろうかと思い、いま統計で確認できる指標として玄米1俵の生産者価格と高卒国家公務員初任給の移り変わりを調べ比較してみることにしました。それが次の表です。

 高卒国家公務員の初任給(月給)/玄米1俵(60kg)の生産者価格    比率

 

1960年   7,400円/ 4,162円(食管法生産者米価)   1.78

 1970年  23,140円/ 8,272円(食管法生産者米価)   2.79  

 1975年  66,000円/15,570円(食管法生産者米価)   4.24     

 1985年  95,500円/18,668円(食管法生産者米価)   5.12   

 1995年  137,900円/16,392円(食管法生産者米価)  8.41 

2007年  140,100円/14,164円(全銘柄平均価格)   9.89

 2012年  140,100円/16,501円(全銘柄平均価格)    8.49

 2017年  147,100円/15,595円(全銘柄平均価格)   9.43   

 2022年  154,600円/13,851円(全銘柄平均価格)  11.16

 この比率は、1か月の月給で何俵のお米を買えるのかという価値を表しています。1か月の月給で買える2022年の生産者価格の価値を農業近代化政策が始まる直前の1960年の価値と比較すると、


1.78/11.16=0.159


つまり2022年のお米の価値は、1960年のお米の価値の15.9%しかないということがわかります。離農する人がどんどん増えて耕作する人の変動が大きい今とは違い、かつては耕作面積が変わらないのが当たり前だったのですから、実質的な収入はどんどん減ってしまい、生活が成り立たなくなってしまったのです。ちなみに2022年のわが家のお米の価格で計算してみると、1970年代前半程度の水準となります。

 このように、米の価格は、賃金の上昇に比例することなく、相対的にだんだん安くなってきました。ある葬儀の際に、近くの農家の人が雑談の中で、「稲の刈り取りを頼んで、乾燥も頼むと収支がトントンになってしまう。でも、コンバイン(稲の収穫機)なんて高くて、買ったら割に合わない」とぼやいていました。お米を作っても、ほとんど収入にはつながらない。これが、一般的な農家の実情です。千葉県が新規就農者向けに作ったパンフレットを見ても、キュウリ、トマトのような野菜や花、果樹などいろいろある中で、稲作(米)が最も単位面積当たりの収益が少ない作物だと記されていて、これを見れば新規就農者が稲作をやろうとは思わないでしょう。農村から人が出て行ってしまい、農業人口が激減している今の状況は、このように世間の賃金の相場とはかけ離れてしまった農産物価格(特に米価)に原因があるのだと私は思います。

 しかし今、政治でもマスコミでも「賃金」のことは盛んに取り上げ、農産物価格のこと

は消費者にとって高くなった時だけ取り上げ農家にとって安すぎることは取り上げようとしません。農家にとっての農産物価格は、所得(=生活)に直結する重要な問題です。それが認識されない限り、農村の高齢化という問題の根本解決は難しいのです。ただでさえ、相次ぐ自由貿易協定発効で日本の農業の先行きが不透明になってきている状況ですから、多くの農家が安心して後継者に引き継ぐことができない状況です。

 それだけではありません。農家がボランティアに等しいような労働をしてつくられたお米が当たり前に流通している現状が放置され続けていることは、農家の仕事そのものを低く評価することであり、長年農業を続け、米作りを支えてきた人たちの誇りを傷つけていると、私は感じています。これほどひどい仕打ちはありません。

農業の問題は都市生活者の問題

 「農村の高齢化」などと人ごとのように考えていると、そのうちに食料を生産する農家が不足するようになり、食べたくても思うように手に入らないということが起き、他人ごとではなくなることもあり得ます。地方、農村から人がどんどん減って若い人の就農が追い付かない状態が続けば、農業が持続できなくなるばかりか、そこで生産された食料を当てにする人たちも困ることになるでしょう。「食料なんて輸入すれば問題ない」と思われるかもしれませんが、世界での日本の経済的な地位がどんどん低下していることが次々に明らかになり、食料の多くを輸入に頼れる時の終わりもとうとう見えてきました。

 私が就農前から何冊もの著書を読み、その鋭い視点から学ばせていただいてきた佐賀県の農民作家・山下惣一さんは、「日本に農業はいらない」とか「サラリーマンは農家に比べて税金で損をしている」などという評論家やマスコミの根拠なき農業叩きキャンペーンのさなかだった1980年代半ばに、「農家ばかりが得をしていると言われるが、それならなぜこんなに補助金を出しても若い人たちが農村から離れていってしまうのかと不思議に思わないのだろうか」と皮肉を込めて指摘しています。また、農村が弱ってしまえば、食べものの入手に困ることになるはずだから、「農業問題と言われるものは、結局都市生活者の問題なのだ」とも主張しています。本当に、都市部で生活する人たちにとって、農村が弱ってしまう、農業の現場が苦しくなってしまうということは、いずれ人ごとではなくなるでしょう。

 食べものは私たちのいのちをつなぐものなのだから農産物の価値は人のいのちの価値だ、という認識が共有できる世の中にしたいものですね。


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