有機農業について国会議員と初めて懇談

 昨年ブログ「耕さない畑の生命力に感動」でご紹介した千葉県東庄町のさくま草生農園の佐久間清和さんから先日、「近々国会議員が訪ねてくることになったのだけれど、話し合いに参加しませんか」とのお誘いをいただきました。佐久間さんが野菜をお届けしている方が須藤元気参議院議員(無所属、農林水産委員会)のお友達で、ぜひ有機農業の現場を訪ねて農家とお話がしたいという提案があって実現したということです。私も参加させていただくために、成田市にあるおかげさま農場の高柳功さんを訪ね、佐久間清和さん・知子さん夫妻と合流し、懇談会に参加しました。

 高柳さんに初めてお会いしたのは、20年ほど前、まだ就農してから5年目くらいの時でした。私たちは自然の恵みをいただいて生きているのだという気持ちを込めた「おかげさま農場」という名前、農業についての高柳さんの深いお考えにとても感銘を受けました。その後、高柳さんとは千葉県内の有機農業者の活動でたびたびご一緒する機会がありましたが、今回は本当に久しぶりにお会いすることができました。有機農業関係者が参加した懇談会にはもう一人、寺田静参議院議員(無所属、環境委員会)が参加しました。主に高柳さんと私が、2人の国会議員に有機農業についての話をするという形で懇談会は進みました。懇談会の後には、参加者で高柳さんを囲んで話し合いました。この日印象に残った言葉から考えたこと、私がお話したことについて書こうと思います。

農業についてのフランス人の意識

 まず高柳さんのお話で特に印象に残ったことは、「日本では教育で農業を教えなかった」という言葉です。どういうことかというと、農業が国民の食を保障しているという当たり前の事実を、日本では子どもたちに教育の場で教えてこなかった、だから農業の役割も重要性も理解できる人が少ないということです。高柳さんは、親せきがフランスに住んでいたこともあり何度か訪ねたそうです。フランスでは、「農業の問題は、国民の食料の問題だ」というのが当たり前の国民の理解だそうです。その当たり前のことを、日本ではまるで農家にとっての問題であるかのように、あるいは国益に反するかのように他人事として報道され、国民もそう思っている人があまりにも多いのが現状です。だから高柳さんは「日本では教育で農業を教えなかった」と言われるわけです。

 しかもフランスで小麦の自給率を聞くと百何十%との答えが返ってくるので、「それは問題ではないのか?」と尋ねると、「問題ない」と答えるそうです。余るくらいなら、何があっても国民が飢えることはないということだそうです。それに対して日本はどうかというと、減反政策で米を余計に作るのは罪であるかのように言われ、多角的貿易交渉ガット・ウルグアイラウンドではコメの部分開放を認めて完全自給を放棄しました。国民が飢えないようにするという姿勢が政府にはまったくないという状況です。

有機農家の根本思想

 高柳さんとお話しして、もう一つ強く印象に残ったことは、有機農業にこだわる理由は何か?ということです。アメリカの生物学者レイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』に強く影響されたという高柳さんは、農薬が自然界に取り返しのつかない影響を及ぼすことを痛感し、50年先のことを考えたら使ってはいけないものだと思ったことが、持続性のある農業つまり農薬を使わない農業を考えた原点だそうです。また、「何があっても家族が生き抜くことを考えた農業を目指してきた」とも言われました。どういうことかというと、まずは自分たちが食べたいものかどうかと考えれば、当然農薬は使わない方がいいに決まっている。そしてあれも自分たちで作ろう、これも自分たちで作ろうと手を広げていき、小麦や搾油用の菜種など自給するものが増えていったということです。わが家も同じような思いと経緯でいろいろなものをつくるようになってきたことと重なりました。

 これが、有機農家の根本思想というべきものではないかと思います。「食の安心・安全のために」という言葉はどこかよそよそしく感じますが、高柳さんの言葉は、有機農家に共通した素直な思いだと感じました。自分たちにとって良いものは、人様に食べていただくにも良いものなのは当然です。有機JAS制度が始まって「有機」は買う人にとっての安全を意味することになりましたが、本来は、農家にとっての安全な食べ物だという認識が原点なのです。「有機農産物には付加価値がつく」などという言い方をする人には、このようにつくる農家にとっての食べものという発想がないことに気づきました。普通よりも高く売れる商品でしかないのだと思います。

 私が付け加えてお話ししたことは、農薬を使わないことによる生き物など周囲の環境との共生、産地同士あるいは輸入農産物との競争ではなく、有機農家とつながる消費者との共生、有機農家同士の共生など有機農業は競争ではなく共生を大事にしているということです。

 高柳さんの原点のお話をお聞きして、改めて有機農業の意味を深く考え、共通の思いを持つ私たちがこうして集えたことをうれしく思いました。

有機農業が普及した未来を想像してみる

 須藤議員からの質問を受けて、私は有機農業をどうしたら広められるのかということについて、次のように思うことをお話ししました。

「まずは有機農産物を使った学校給食を広めてほしい。そうすれば、有機学校給食が普及した韓国の事例を見ればわかるように、農業の現場も変わり有機農業が広がっていくことでしょう。すでに千葉県のいすみ市や木更津市などで取り組まれている学校給食での有機米使用は、地域内自給という考え方で行われています。でも、東京の世田谷区で母親たちが署名活動を始めたように、大都市部で有機給食を始めるためには、地域内自給という形をとることはできません。実現するためには、ほかの地域に有機食材を供給する体制をつくる必要があります。したがって、有機農業のより大きな広がりが期待できます。

 学校に限らず、保育園、老人施設や病院などで有機給食が実現できれば、発達障害や健康の問題を改善することになり、保険医療費の削減にもつながることでしょう。今はコメ余りだということで、米価がますます下がる傾向にあります。しかし、有機稲作に変えていけば米の収量(10a当たりの収穫量)を減らすことができるので、コメ余りも解消し、田んぼを耕作し維持しながら米価も安定させ、生産農家の収入も改善することができます。したがって、学校給食を変えてゆくことによって、みんながハッピーになると思うのです。」

 

 また、生活困窮者といわれる社会生活になじめない人たちが農作業を体験すると、精神状態やコミュニケーション力が改善される人の割合が高いという最近の日本農業新聞の記事を紹介したうえで、今の社会になじめない人や都市部での働き方に希望を見いだせない人たちの中には、有機農業の世界に居場所を見つけ、そこで働く人も出てくるのではないかと考えていることも伝えました。

 有機給食に変えていきたいと多くの人たちが願う動機は、確かに残留農薬の基準緩和政策など食べものの現状があまりにもひどいからなのですが、そのような「否定」だけに焦点を当てるのではなく、有機給食に変えることによって、ここが良くなる、あれも良くなるなどと「肯定」できることを並べてみると、前向きにとらえることができ、賛同する人も増えるのではないでしょうか。子どもたちが食べる食事の6分の1が学校給食だということですから、学校給食を変えることは、子どもたちの健やかな成長を保障するために大切なことだと思います。

 韓国では、国が学校給食の無償化まで進めているわけで、国の政策次第なのです。国が子どもたちの未来を大切にしようとするならば、給食費を保護者の負担にするのではなく、国税を投入して国が保障することを前提に考えるべきです。最低でも、有機給食に変えることによって増える経費を保護者の負担にするのではなく、国税で負担することにすれば、導入する場合の現場での抵抗は少なくなるのではないでしょうか。

 有機学校給食を実現するためには、多くの人が願い、その実現に向けて声を挙げ、政治を動かし、給食の現場も農業の現場も動かす必要があります。子どもたちの健康を大事にしない国、心や体を病んだ人がどんどどん増える国、農業を軽視し百姓が笑顔を失っている国。それらをまとめて逆の方向へ変えていくための国家プロジェクトとしてぜひ実現したいです

ね!




*写真は、須藤元気議員よりご提供いただいた写真です。


(下左)さくま草生農園さんの耕さない畑を見学する国会議員さんたち。

説明しているのが、佐久間清和さん。


(下右)議員さんたちの前で、採種用のカブを田んぼの土手に植え替える実演をする佐久間さん。


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