2022年の大晦日を迎えました。今年最後のやぎ農園ブログは、毎月お米と一緒にお届けしている『やぎ農園田んぼだより』2022年12月号より転載します。
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今年もいよいよ終わろうとしています。最近では学校などでコロナ感染が広がっても、インフルエンザの流行と同じ程度の受け止め方をするのが当たり前になってきて、ようやく人と人の交流の機会も比較的抵抗なくできるようになってきたのは良かったです。わが家でも特に問題も起きずに過ごすことができました。その点では、一年前と比べてずっと明るさを取り戻してきたと思います。
一方、今年ウクライナで始まった戦争は、第二次世界大戦後に国際連合が結成されて世界で進められてきた努力を崩壊させかねない危険な状況にあると感じています。日本の経済的地位が低下しただけでなく、世界の国々の力関係が大きく変わり始め、ますます不安定な時代になっていく気配を感じています。
農業の軽視 =国民のいのちと国土の軽視
このように世界の状況が変わりつつある今、食料の大半を輸入に頼ってきた日本の脆さ、危うさが浮き彫りになってきました。食料品の度重なる値上げについては大きく取り上げられますが、それは原材料を輸入農産物に依存しているものが多いからです。ところが、米など日本の農産物は物価上昇から置き去りにされています。これではますます農家がいなくなってしまうと問題視する消費者や報道が目につかないのはどうしたことでしょうか。農家がどんどん減ってゆくのは、農産物の価値が不当に低くされてきたからだということに気づく人が増えてほしいと思います。だからこそ、農業で暮らすことが困難になり、人が離れていってしまったということを。農産物がフェア(公正)に取引されてきたなら、現在のような高齢化は進まなかったと思います。
10月号でも書いたように、現在日本の食料自給率は38%しかありません。このことには危機感を持たない政府が、最近になって突然軍備拡張、敵基地攻撃能力の保有を言い出しました。しかも、そのことが議論されないまま、いつの間にか問題が財源の話にすり替えられ増税にまで踏み込んできたのにはあきれるとともに怒りを感じます。
食料生産と国土の保全という、公共事業ともいうべき役割を農家は担っています。そのような農家の存在を軽視するということは、国民のいのちと国土を大切にしないのと同じことです。その上でミサイルをたくさん保有したとして、いったい何を守るというのでしょうか。もしも戦争になってしまったら、戦場で戦うのはいったい誰だというのでしょうか。
私はこれまで地元で戦場体験者の方々への聞き取りや郷土資料の調査を行ってきました。その中で明らかになったことのひとつは、戦没者の年代別の割合です。20代以下が3分の2、30代以下では約96%となりました。それは残された人から見れば、父であり、子であり、あるいは恋人だったのです。このような戦争の現実を抜きに、命令を下す立場の政府関係者は勝手に物事を進めようとしているのです。
競争ではなく共生が農家の求めるもの
私は40代はじめから10年ほど、先ほど書いたような活動のほか、戦争遺跡の保存活動や戦争にまつわるドキュメンタリー映画の上映会などを盛んにやって来ました。それは、戦場体験者の方々からお聞きした「戦争だけはあってはならない」というとても実感のこもった言葉を何度も聞かされたことに突き動かされたからだったと思います。そのような活動の中で、いわゆる平和運動に関わっていらっしゃる方たちとの交流もありましたが、次第に違和感も覚えるようになりました。いつも批判したり、闘うような言葉と行動で平和を語れるのだろうかと。
私は都会で生まれ育ち、31歳の終わりから農村での暮らしを始めました。ここで生まれ育った同世代の人たちの多くはバブル景気にわく都会へ行ってしまったようで残っているのはわずかです。でも、私にとっては、70代、80代になっても近所の人や同級生を「○○ちゃん」と呼ぶような緊密な近所づきあいのある農村の暮らしが性にあっていました。何事も相談で決め、共同で作業をし、地区や農業関係の役員も交代で務めることが、農村では当たり前です。水路の泥さらいや道普請(みちぶしん:道路の補修作業)なんてこともあります。誰かと競争したり何者かと闘ったりするのではなく、なるべく争いごとにならないように、皆が納得できるようにしながらともに暮らしていこうというのが村の暮らしの基本なのです。
また、わが家のように有機農家であっても、あるいはまったく違う慣行農家であっても、また年齢が大きく違っても、地域を守るという気持ちや仕事ぶりが確かであれば認め合い協力するという、農家ならではの仲間意識も強いものです。
そのような暮らしを長く続けるうちに、このような農村の暮らし方や人間関係こそが平和な社会を築く基礎になることを強く感じるようになりました。平和は闘うことによって生まれるのではなく、穏やかな暮らし方が平和な社会をつくるのだと。
そのような心境の変化とともに、田畑を預かってほしいという地域の地主さんたちからの依頼も次々に受けるようになってきたため、今は地域の役を務めながら農業に力を注ぐことにしています。私たちが元気なうちに、次の世代に農地の引き継ぎができるようにしていくことも大事な役割だと感じているからです。
有機ある南房総を目指して
就農する前にレスター・ブラウン博士の『飢餓の世紀 ―食糧不足と人口爆発が世界を襲う』(1995年、ダイヤモンド社)という書を読みましたが、今はまさにこの書名の通りの時代に入りつつあります。そのような時代に、農業こそは生きていくのに必要だと気付く人が(27年前の私のように)増えていくはずだと信じています。その入り口としてぜひ有機農業の世界に触れてほしい、南房総に広がってほしいと思い、わが家では研修生を募集してきました。
今年4月より若い夫婦の研修生が市の研修施設に住みながら通ってきています。東京から移住し、まったく未経験だったのですが、慣れない人には過酷なわが家の農作業にも慣れ、だんだん頼もしくなってきました。2024年3月まで2年間研修した後に独立就農することになっています。その齋藤伸哉・冬美子夫妻が取材を受けた記事が、南房総市のホームページに掲載されました。ホームページ内の「移住・定住情報サイト」で是非お読みください。
(以上、『やぎ農園田んぼだより』2022年12月号より転載)
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世の中がますます怪しくなってきました。政府の独断に歯止めがかからなくなり、戦争の影が日本にもじわじわと影響を及ぼしそうな状況です。不透明で不安も広がる気配ですが、それをしっかり注視しつつ、農の現場では逆に人の信頼関係をひろげるとともに、穏やかな暮らしを求める人たちを受け止められる場をつくりだしていきたいと強く思います
一年間、やぎ農園ブログをお読みいただきありがとうございました。来年も、農家の視点で日々の農作業で感じたことや農村で起きていること、農業をめぐる問題などについて書いていきたいと思います。
*写真は、わが家のハス田で掘ったばかりのレンコンです。縁起物のレンコンのように、明るい見通しのある新年にしていきたいものですね。
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