からだが喜ぶ食べもの

 わが家は以前このブログでも書きましたように、野外保育を行っている一般社団法人森のようちえんはっぴーと10年来深い関りを続けてきました。わが家の田んぼでは、森のようちえんはっぴーに通う子どもたちが、田植え、草取り、稲刈りをし、最後に秋の感謝祭で餅つきをして食べるという一連の体験を毎年行っています。

 今年度は初めて、保護者の方々向けと職員の方々向けの2回、わが家の農業のことや食べ物・農薬と子どもたちの健康や発達について、私が学び知ってきたことをお話しさせていただく機会を得ました。先日そのお話会の時に、とてもうれしい話を聞くことができました。


舌で感じる確かさ

 職員の方々にお話しした後で、普段はあまり食べものの選び方を気にしてこなかったという方々から、わが家のお米が市販のお米や親せきからいただいたお米と比べておいしかったという感想をいただきました。ご飯だけで食べてしまうとも。さらに、その日のお昼にみんなで羽釜で炊いたご飯を食べた時の出来事をお聞きしました。その日は野菜の入った味噌汁を飲んだらごはんのお代わりをしてもいいというお約束にしたそうですが、普段はあまり食べない子が、どうしてもお代わりがしたいために味噌汁をしっかり飲んで2回もお代わりをしたというのです。

 この話を聞いて、本当においしい食べ物は「食べたい」という意欲を自然にかき立てるものなのだと改めて感じ、さらにわが家のお米が自然な意欲を引き出したことにとてもうれしくなりました。子どもが理屈抜きに「食べたい」と思うことは、健康に成長していくために大事なことで、それは生きる意欲にもつながるのではないでしょうか。普段あまり食べない子は、もしかしたら食欲をそそるようなおいしいお米やおいしい野菜と出会っていないからなのかもしれません。

 わが家は、農薬や化学肥料を使わない「有機農業」を営んでいます。でも、世間でよく言われるように「安心・安全」を強調するのには違和感を感じています。なぜかというと、食べものは頭で食べるものではなく、舌で味わって食べるものだからです。安心だから食べるのではなく、おいしいから食べる。おいしいものを選んだら、それは農薬も化学肥料も使っていなかった。わが家のお米が、そのように自然に食べたくなるようなものになっているとしたら、本当にうれしいです。

農業は本来「たべもの」をつくるしごと

 食べものは舌で味わうものだと書きましたが、実際に「有機農産物」であっても、必ずしもおいしいとは限りません。化学肥料は使っていなくても、たとえば家畜糞尿をたっぷり使った色の濃い立派な葉物野菜は、苦みを感じる場合もあります。たくさん収穫して売ればお金になるからと肥料をたくさん使えば、お米も野菜も味は落ちてしまいます。

 だから、一口に「農業」といっても、食べものとしておいしいと食欲がわくものをつくる農業と、味は後回しにしてより多くとれること見栄えがいいことを重視した農業があります。「有機」であるかないかに関わらずです。前者は、「たべもの」をつくるための農業、後者は「商品」をつくるための農業だと私は考えています。私が25年前に就農したころに出会った有機農業の先達は、自分の食べものを自分でつくるという土台の上に暮らしが成り立っていて、「自給の延長として野菜やお米を人様にお届けするのだ」と教わりました。自分たちが食べるものと、人に届けるものに境目がないということです。このように「たべもの」をつくるのが、私の学んできた有機農業です。

 ところが、時代は変わって有機農業ということばも当たり前に使われるようになり、「有機JAS」認証制度がつくられるなどしてくると、違うことも起きてきます。これは千葉県内での話ですが「若手の農家が数人で有機JAS認証を取得して大規模にニンジンを栽培しているが、昼飯はコンビニ弁当を食べているのだ」という話をある方から聞きました。この場合には、有機農産物といってもあくまでお金を稼ぐための「商品」としてつくっているわけで、自給や暮らしからは全く切り離しているということでしょう。現在の産地化、ブランド化を重視し、売上高を重視する農業の世界ではこのようなことは当たり前になっています。消費者として何を見て選ぶのかということは人それぞれだと思いますが、現在の農業にはこのように「たべもの」をつくっている農家とひたすら「商品」をつくっている農家があるのだということはお伝えしたいと思います。

有機農業は人を幸せにする

 さて、はじめに書いた出来事のように、子どもはおいしいと思えば理屈抜きにどうしても食べたいという意欲を持ちます。それは生きたいという本能的な欲求にもつながることでしょう。我々おとなでも、おいしいものを食べた時には思わず笑顔になったり「おいしい!」と言葉にして感動します。そのような時に人は幸せを感じているといってもいいでしょう。だから、「おいしいたべもの」としてお米や野菜などをつくり人に届けるというわが家が目指してきた有機農業は、自分自身も含めて人を幸せにするしごとだと思っています。

 わが家は一貫して有機農業だけで暮らし続けることしか考えてきませんでしたが、今は半農半X(暮らしのための農業に携わりながら、特技や能力を活かした別のしごと、天職を生きること)という形の農家の役割が見直されている時代です。専業農家を目指す人はもちろんのこと、暮らしを土台にした有機農業の世界に、その人なりの方法で入ってみれば、都会で生きづらさを感じている若い人たちの多くがもっと気を楽に希望をもって過ごせるのではないかなと、心から思っています。

 有機農業は、マニュアルに従うだけの世界ではないし、誰かから働かされる世界でもありません。土に触れ、作物の生長を見守り、生き物たちの変化に季節を感じ、そして自ら手をかけた収穫物をたっぷり味わうことができます。さらに、収穫物を届けた相手とのつながりが、自らのしごとの意味をますます確かなものにしてくれます。パソコンやスマホの中に閉じ込められたバーチャルな世界ではなく、まさに五感を使って生きている実感を得られる世界なのです。

 半農半Xの「X」がその人の個性を活かした天職を指すのだとすれば、私たち夫婦は有機農業が天職だと思って過ごしていますので「全農全X」です。都会で生まれ育った私や妻が農村の良さを肌で感じてどっぷり百姓生活を続けてきたように、有機農業の世界に入り農村を活気づけてくれる若者たちが増えてゆくことを願って、今年も発信を続けていこうと思います。

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